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水戸家庭裁判所土浦支部 昭和54年(少)1-1243号 決定 1979年8月06日

少年 Z・D(昭四〇・三・一〇生)

主文

少年を教護院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は、

一  A(当時一七歳)と共謀のうえ、昭和五四年七月一〇日午後六時ころ、茨城県行方郡○○町大字○××××番地の×霞ケ浦湖畔において、同所に停車した普通乗用自動車(○○××な××××号)内で交談中のF(当時一九歳)及びG子(当時一八歳)に対し、「お前ら何眼たれているんだ、なめてんのか、あの女をやらせろ、俺らは○×○×会の者だ、○△の事務所へ連れて行く」などと申し向け、AがFの顔面を手拳で殴打し、その腹部及び顔面を数回足蹴りにするなどしたうえ、同人運転の前記自動車に少年が乗り込み、A運転の普通乗用自動車(○××と××××号)にG子を乗せ、そのころから翌一一日午後〇時ころまでの間、F及びG子の両名を二台の自動車に分乗させた状態で同県東茨城郡○○町、同県那珂湊市○○○○、同県高萩市の山中などを連れ回すなどし、右両名を脱出不能の状況におき、もつて右両名を不法に監禁し、

二  前記Aと共謀のうえ、前記のような暴行、脅迫を加えたうえでF及びG子の両名を二台の自動車に分乗させ連れ回す途中、同月一〇日午後七時三〇分過ぎころ、同県行方郡○○町○○×××番地先路上において、AがG子に対し、「金あつか」などと言つて金員の交付を要求し、同女をしてもし右要求に応じなければどのような危害を加えられるかもしれない旨畏怖させ、よつてそのころ同所においてAがG子から金一、〇〇〇円の交付を受けてこれを喝取し、

三  公安委員会の運転免許を受けないで、同年五月二五日午前一一時五五分ころ、同県鹿島郡○○町○○×××番地付近道路において、第一種原動機付自転車(○○町ぬ×××号)を運転したものである。

(適用法令)

一の事実につき刑法六〇条、二二〇条一項

二の事実につき同法六〇条、二四九条一項

三の事実につき道路交通法一一八条一項一号、六四条

(処遇理由)

一  少年は、一本気で短気であり、面白くないことがあると家族に暴力を振るつたり、その面前で妻の実家の悪口をしつこく言つたりするような幾分無定見で直情径行型(暴行、現住建造物等放火未遂などで懲役刑一回を含む三回の前科がある)の父親と、少年を庇いはするが、その可愛がり方に節度がなく、少年の外泊先すら確認しないで放置しておくような溺愛型の母親のもとで育てられ、小学校五年生位までは格別の問題行動は見受けられなかつたものの、小学校六年生ころから窃盗、怠学、不良年長者との交友などの問題行動が見受けられるようになり、その後同様の問題行動のほかシンナー吸入、喫煙、オートバイの無免許運転、夜遊び、外泊、家出などの問題行動を繰り返し、次第にその不良行為の範囲と程度を昂進させてきたものであり、その間、学校側は積極的に家庭訪問するなどして熱心にその指導に努めるなどしたが、殆んど見るべき効果もなく(中学二年時には出席一一三日、欠席一三〇日、中学三年になつてからは二日しか登校していない)、両親も、父親が少年をオートバイに乗せて校門まで送つたり、親族会議の結果少年を暫定的に叔父のもとで住込稼働させたりまでしたが、不良交友など少年側の問題から程なく徒遊生活に戻つてしまい、少年に対する愛情はあるものの、一向に改善されない少年の状況に次第に自らの指導力に限界を感じ始め、混迷の度合を深めてきている。そして、昭和五三年六月九日通告を受けた児童相談所の児童福祉司も、自らの力で何とか善導したい旨力説する父親の意向を尊重し、当初は学校及び家庭と緊密な連絡をとりつつも、間接的な指導に止めていたが、前記のような少年の状況を憂慮し、本件監禁、恐喝事件の発端となつた共犯者Aとの家出中の昭和五四年七月一一日(少年の家出は同年六月二四日)、両親及び学校と協議のうえ、身柄発見次第一時保護の措置をとり、少年の経過観察を行つてその処遇を決定しようとしていた矢先に上記事件が勃発したものである。

二  少年の基本的な問題点は、限界域の知能(IQ=七三、偏差値二七、新制田中B式第一形式)で、思慮分別に欠け、一時の気分で行動し、一貫性、主体性、集中力に欠け、従つて他人からよく馬鹿にされ、自信をもつて行動したり、他人を信じたりすることができず、ひがみつぽく、自分の殻に閉じこもつて対人関係を自ら制限してしまうことなどである。少年のそのような性格及び行動傾向は、低知であることに加え、家庭及び学校に十分適応できなかつたりして年令相応の基本的な教育、訓練を受けることなく生育してきたこと、比較的年少時から怠惰かつ放縦な生活を継続してきたため前記のような問題行動が固着化、習癖化しつつあり、自己の立脚点として次第に強固な力となつてきていることなどに主因があると思われるが、現状のままではますます少年の問題傾向は昂進し、その非行性は進展の一途を辿ることが十分予測される。

三  少年自身が前記のような問題点を抱え、家庭及び学校において周囲から諸種の働きかけを受けながら殆んど効果があがらなかつたこと、両親がこれまでの経過の中で次第に少年に対する指導に自信を失つてきており、また父母連携のとれた効果的で適切な指導監督は期待し難いことは前記のとおりであり、少年自身の内省も殆んど深まつていない現状などに照らすと、もはや在宅処遇によりその改善をはかることは限界にきているものと認められる。

そして、以上の諸点を総合考慮すると、少年を初等少年院に送致して系統的、集中的に教育訓練を施することも十分考えられるところではあるが(無断外出のおそれもないではないが)、その年令、未熟さ、共犯事件における追従性、過去の非行歴(ことに家庭裁判所への係属歴も観護措置の経験もなく、本件を除くとさほど大きな事件は起していないこと)などを考え合わせ、今回は教護院に送致して、福祉的見地から粘り強く少年を教護することに期待することとした。

四  なお、昭和五四年少第八六四号ぐ犯事件は、「少年は、昭和五四年四月ころから長期怠学をして自宅付近で不良交友を続け、同年六月二八日ころ窃盗非行歴のある少年Aとともに家出し、同少年と茨城県内及び埼玉県大宮市方面を遊興徘徊し、その家出中に少年Aとともに自動車窃盗、不法監禁、恐喝等の非行を繰り返していたもので、このまま放置すれば不良交友を継続して窃盗等の非行をなすおそれがある」ことを審判に付すべき事由とするものであるが、法律記録を検討すると、上記事由中、少年がAとともに敢行したとされる不法監禁、恐喝の事件は、のちに送致された昭和五四年少第八九三号逮捕監禁、恐喝保護事件(一・二の事実)と全く同一であり、その事由中の窃盗の事件は、窃盗を非行事実として独立に送致することができるにもかかわらず(現に少年Aにかかる昭和五四年少第八九二号事件においては、少年を共犯者とする独立の窃盗保護事件として送致がなされている。)、意識的にそれをしなかつたのであり(すでにぐ犯事件として係属していたからというのであれば、逮捕監禁、恐喝事件は送致されなかつた筈である。)、いずれもぐ犯事件の事由として考慮するのは相当でない。そこで、上記ぐ犯事件のぐ犯事由としては、少年の長期怠学、不良交友、家出に着目してぐ犯通告がなされたものと理解するの他はない。

ところで、少年の上記怠学、不良交友、家出は、それ自体としてこれを見れば少年法三条一項三号に該当し、非行事実として成り立ちうることは前記のところからも明らかであるが、少年の本件ぐ犯事件と逮捕監禁、恐喝の事件は、その証拠関係が殆んど共通である(ぐ犯事件の証拠は、少年自身の一通の供述調書の謄本を除けば、その余はすべて逮捕監禁、恐喝の事件の書証の謄本である。)ことにも端的に示されているように、両事件に吸収関係を認める場合に当るのではないかとの点が問題であるので、この点につき検討を加える。

記録によれば、本件ぐ犯事件は、一で述べたような状況を内容とするものであり、そこで問題にされる怠学、不良交友、家出は、本件逮捕監禁、恐喝事件の原因となつた怠学、不良交友、家出と全く同一のものであり、本件監禁、恐喝の非行は、そのようにぐ犯事件と同一の怠学、不良交友家出などの徒遊生活を基礎とし、遊び回る金欲しさから、或いは遊び回るのに女性がいないとつまらないからとの理由で、そのようなぐ犯状況の延長ないし発展として敢行されたものである。なるほど上記のようなぐ犯状況から予測されるのは、監禁や恐喝の非行類型のみでなく、これを含みつつもより広い幅をもつた非行類型であり、その意味で単なる潜在的非行の顕在化、現実化に止まるものではないが、本件において少年の前記ぐ犯性が発展して監禁、恐喝の事件となつたこと、換言すれば両者の間に因果関係の存することは否定できないのみならず、そのぐ犯事実の中核部分が最も直接的な形で本件監禁、恐喝の非行に発展したものと言うことができ(その故に、他面で本件監禁、恐喝の事件の処理に当つては、その基礎に前記ぐ犯状況のあつたことを重要な情状として考慮せざるを得ない。)、両事実は同一のものと評価することができる。そして、以上のような両事実の特殊性に鑑みると、非行事実の直接的な発現と認められる監禁、恐喝の事実にぐ犯は吸収されるものと解するのが相当であるから、本件ぐ犯事件については少年を保護処分に付さないこととする。

五  よつて、少年法二四条一項二号を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 山下満)

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